身近に役立つ東洋医学の発想術

東洋医学と易のユニークな発想で今日の一日をもうちょっとhappyに。

「こんなもんだ」が分かれば、人生は身軽だ

こんにちは。易占と鍼灸の仙亀です。


年ごろからなのか、40代になってから食欲というものが、あまりわかなくなってきました。美味しいものは好きなのですが、量は格段に食べられなくなりました。

食欲だけでなく、いろいろな意欲が20代と比べると格段に減っています。
いろいろな欲するものの「量」が入らなくなりました。


そこに喪失感があるわけでもなく、自分に自信がなくなるわけもなく。

どちらかといえば、自分が満たされ「これで充分」と感じることの方が圧倒的に多くなりました。



若い頃、10代はがむしゃらでした。

高校を卒業してから、こうした人のカラダをみさせていただくお仕事につき、勉強できるところからただただがむしゃらに手をつけていたような気がします。

20代になるとやみくもに勉強していたことが、目標がはっきり定まり、鍼灸の世界に入ってからは、没頭して過ごしていました。

よそ見をするという余裕もなかったように感じます。
ただただ詰め込むばかりの学びの日々。



東洋医学は間口が広く、奥が深い。
深みにはまれば底が見えないほど深いので、なかなか足がつかない。

自分で鍼灸院を開業したのもこのタイミング。

知らないことやわからないことも多々ありましたが、元来ひとを頼って相談するのが苦手なタイプなので、自分で静かにもがいていました。

勉強してつめこんでつめこんで、ギュウギュウにつまった感覚があると安心できる。



30代になるとすこし周りが見えてきて、人のやっていることに興味を覚えて、自分に不足を感じ、いろいろ知らないものに手を出してみる。
いろいろ表面的に手を出していると、どんどん掘り下げたくなり、掘り下げていけばいくほど不足を感じ。


あれもこれもと手を出せば出すほど自分に自信がなくなり、不足や喪失感がつきまとっていました。


それほど大げさに迷っていたわけではないのですが、結局欲張りで、そして、自分の器に収まらないものをとりいれようとか、自分には似合わないものを選んでいたようでした。



40代は「不惑の年」と孔子さんはいっています。

40代半ばに入り、自分の器が見極められてきたように感じます。

ぼく自身「こんなもんだ」という自分のうつわ。


10代の頃、ぼくは部活動やプライベートで硬式テニスにはげんでいました。
大好きでひとりでもコートに行って練習することもしばしば。
やればやるほど上手になる時期でもありました。

40代、ふむ、そんなに高みを目指したり、ガツガツ学んで深めることをする意欲はありません。
でも、自分のココロとカラダを喜ばせるリズムとペースを手に入れて、出来る範囲で楽しめる程度で取り組み続ける「根気」と「指針」が身についたのかなと。

これからは自分のサイズをよくよく自覚して「こんなもんか」とテキトーに満足して、あとは好きなだけつづけられる興味と根気を保ち続けられる「モチベーション=指針」を大切にして過ごしていけたらいいのかな。



よくよく自分の器をのぞきこんでみれば、今まで培ってきたものでキラキラしていることに気がつきます。

40代、ふと立ちどまって自分の器をのぞきこんでみれば、なかなかいいものを詰め込んできた良い器の中身が詰まっているし、そもそも「よい器」になっている、と満足します。



毎日、自分サイズで無理することなく、自分のペースで立ちどまり確認しながら過ごすこと。
一日一日たいせつに生きているなという自覚さえ持てれば、まずはそれでいいんじゃないかと。

毎食のご飯を「おいしいなぁ」と感動できるだけでも、一日を大切に自分を満たして生きていると感じます。


ジメジメした梅雨。
ひとのジメジメした愚痴を聞く機会がふえています。
そんな中だから、ちょっと自分自身の振り返り。
確認程度の雑観でしたとさ。

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