身近に役立つ東洋医学の発想術

東洋医学と易のユニークな発想で今日の一日をもうちょっとhappyに。

目的と手段の取り違え サッサと守破離

こんにちは。易占と鍼灸の仙亀です。


今日は日中外出することもあり、厳しい梅雨の晴れ間を肌で感じました。

東京都議選にむけて、ぼくが住んでいる杉並区もなんだかざわついています。

怖いのは熱中症ですね。選挙戦でヒートアップして暑くなるのはよいのですが、湿度を含むむし暑さは、意外とカラダに熱をこもらせて、水分をとってもなかなか体温が充分に下がりません。

ひきつづき、鍼灸施術を希望される方が多いのですが、カラダに熱をこもらせて体調不良を起こされている方が多いです。

回復時間をたくさんとるために、熟睡できるコンディション作りを応援しているこのごろです。



守破離ということ】
さて、伝統芸能など、師匠について型をおぼえその教えをしっかり守りとおし、やがてそれを突き破り、師匠を超えていく。

守って、破って、離れていく、「守破離」なんて言葉で表現されます。


鍼灸のような技術を用いる世界にも、「守破離」ということがあります。

ぼくも10年同じ師匠について、施術のやり方などを学ばせて頂きました。



今、教えていただいた技術や考えをしっかり受け継いでいるかといえば、「NO」です。


鍼灸師はサッサと守破離
10年師匠について、ぼくの知らないこと、わからないことを教えていただきながら、自分だったらどうするか、ということを常々考えていました。
なぜなら、臨床の場で教わったことが通用しないことがたくさんあるからです。


鍼の師匠とぼくの臨床では、現場が違います。

また、技術的な教えというのは、いくら言葉を尽くしても伝えきることができません。

ぼく自身、人に伝える、教える、という機会を持ったこともありますが、伝えきれないジレンマばかり感じました。

ぼくの経験では、通り一遍のやり方は教えられるけど、真髄はムリ。


そもそも、技術の核心は自分で見つけるもので、教わるものではない。

そんなわけで、10年という時間「守」ということに費やした後、師匠の元を離れたらいかにして「破」するかばかり考え、思考錯誤して技術や臨床や経営の在り方を探し続けました。

そのためにも、自分の技術の支えになる鍼灸師としての根本をみつけることが大きな「鍵」となりました。



【自分の臨床は根っこから自分でつくる】
そもそもの根本は、ぼくと鍼の師匠では異なります。

自分の鍼灸師の根本をみつけてしっかり見つめることができたら、サッサと「離」することができました。


伝統は受け継いでいくもの。「守破離」の在り方は決して崩れない根本を守るための小さな変化。

鍼灸師のようなひとりひとりが独自で腕を磨き研鑽するものは、師匠についてもサッサと「守破離」をすませて、自分の世界を作り出していくもの。



鍼灸師の習いは「手段」です。現場で不足や不便、不十分を感じたら、ササッと「守破離」。

そして、自分の世界である「鍼灸師としてのありかた=目的」は明確にしておくこと。
いつまでも「手段」にこだわっていたら、いつまでも自分の「目的」を果たすことはできないよ。

今までぼくが鍼灸のことを教えた人たちに、当時、厳しくて言えなかったこと、今から届くといいな。

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菜根譚「視界がいつもひらけているヒト」

こんにちは。易占と鍼灸の仙亀です。


ながらく鍼灸のお仕事をしています。

時期によってお仕事のスタイルをかえてきました。

この7月にももろもろ変更することに。

でも、今回の変更は、今後の安定のための変更になるかと。
要するに、しばらく変更なし。



ここにいきつくまで、いろいろ鍼灸のあり方を考えたり、自分の役割をこまめに確認させていただく機会があったり、人の求めをどのように組んでいったらよいかと模索したり、自分の腕を金額に換算しなおすこともしばしばありました。

20年ほど続けている鍼灸のお仕事は紆余曲折があり、つねに順風ではありませんでした。

技術的なことや経営的なことや、体力的なことなどなど、いろいろありました。

※ふりかってみると人間関係や信頼関係に対しては、問題を感じたことがなかったかな、と思いついてみたり。



東洋の思想にかかわる書物に「菜根譚(さいこんたん)」という処世術にとっても役立つものがあります。


その「菜根譚」には、

『しごとで行き詰った時や大きな失敗をして、どうにもならなくなったら、初心に立ち返ってみてちょうだい。

そのしごとを始めた時のことをよくよく思いだしてみよう。ココロのあり方をちゃんと思いだしてみよう。

そうすると、これまでのやり方が間違っていた原因が、よくよくわかるよ。

そうしたら、すぐに引き返して「志(こころざし)」にしたがった別の道(本来あるべき道)をすすんでいけばいいんだからさ』

というようなことが書かれています(かなりぼくの意訳です)。



そう、やっていることが息詰まったり、疑問に思ったら、「そもそも、自分、なんでこれやっているんだっけ?」と振り返る。

これ、とっても大事なことで、人や言葉に影響されやすい若い時分は、この言葉を頻繁に思いだして、「そもそも、どーだったっけ、自分?!」と初心を確認。


20年という時間、それなりに経験や自分の役割を確立したつもりでいても、やっぱりやっぱりぶれてしまうことがしばしばあります。

ぶれるとき、人と意見が合わなくなったり、仕事に疑問を持ったり、「あれっ!?」という兆しを感じます。きっとだれでも感じるはず。


その「あれっ!?」という兆しは、「初心」からずれているんじゃないですか?の大事なサイン。


ぼくのしごとは楽しむものではありませんが、やりがいを感じられないとき、「初心」をふりかえります。

こうして積み上げてきた「初心=志」は、経験と思いを積み重ねて、時を経るごとに盤石になるのでしょうね。



そして、「菜根譚」では、こうも続きます。

『しごとがうまくいって、功名を成し遂げやりきったなぁと思ったら、そっから先を見極める必要がありますよ。満つれば欠けるは世の習い。時期をみて引き際ってこともかんがえようね』と。

しごとをやりきったなぁ、というところに成長がなくなる。成長するテーマがなくなる。

ぼくのような仕事は、仕事をやめるわけにはいかないので、つねに眼の前の患者さんに対して「初心」で向き合う姿勢を崩すわけにはいきません。施術ではいつも初診の患者さんとしてお付き合い。

それでも、仕事をやりっ切った、と感じるようなことがあれば、誰かにバトンタッチしたり、自分の持っているものを伝えることをはじめたらよいのかな。そのためには、眼の前の仕事をいっそう頑張らないといけなくなるし。


やりきったという息詰まりを感じるまで、まだまだ随分時間がかかりそうです。

それでも、日々の「ありゃま」「やっちまった」「あぁぁぁ~・・・。」と感じる失敗や後悔の念は、いっぱいいっぱい出てきそうです。

大きな失敗や後悔は困りますが、こうした「振り返りの兆し」って、ひととしてもっと素敵になれる「伸びしろ」かなって思います。

人と過ごして、人の役に立つことがぼくの「鍼灸師さんとしての志」。

さてさて、今日の振り返りをしようかな、と思ったら、今宵の晩餐は昨日とれたての「イサキの塩焼き」と「イサキアレンジ・いろいろ」。

むむむっ、こりゃ、振り返りは明日になりそう、かな。

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パンダの赤ちゃん、命の無事、ぼくなりの安心

こんにちは。易占と鍼灸の仙亀です。


上野動物園のパンダの赤ちゃんが生まれたという報道があってからしばらくたちました。

最近の赤ちゃんには「パンダカラー」がみられはじめたとのこと。

パパとママのリーリーとシンシン、前回の偽妊娠などいろいろあっての今回の妊娠出産、そして、今までの無事の発育、ここにきてやっとよかったなぁと、個人的には思っています。

というのも、前回の赤ちゃん出産の際、6日目に授乳の事故で赤ちゃんがなくなってしまいました。
元園長さんの土居利光さんの涙の会見が印象的でした。
子を持つ親である身としては、つよく共感しました。


鍼灸師という仕事をしていると、ひとのご妊娠やご出産、産後の育児にも関わることがあります。

ぼくの鍼灸師人生の中でも、やはり無事のご出産の後、赤ちゃんを亡くされた方とのご縁もありました。

ぼくのような鍼灸師という立場でも、ときどきこうしたことに関わることがありますから、無事の出産と聞いても、すぐに両手ばなしでおめでとうということにちゅうちょしてしまいます。



周囲では出産後、赤ちゃんがしばらく保育器で過ごすような方のお話をしばしば耳にします。
ぼくの身内でもそうした経過をたどる人がいました。

さいわい、わが家の出産は、ふたりとも妊娠中の経過もとても良く、パートナーの出産はたずさわれた助産師さん達からも絶賛されるほどの「よいお産」でした。
それでもやはり、出産は命がけ。

妊娠出産は動物として本能で経過することのできる行為なのでしょうが、やはり命がけです。本能という半分自然の営みでもありますから、何があるかわかりません。
だから、赤ちゃんの無事の出産が分かると、関わる人たちはみんな安堵されるわけですね。
当たり前のようだけど、あたりまえじゃない。

パンダの赤ちゃんの無事な経過をニュースで見ると安心する反面、世間の目も、日本人の無事な妊娠出産に対する準備や養生にも、あらためて目を向ける広い視野をもたれたらよいと思います。



数年前、小さい二人の娘たちを連れて、多摩動物公園レッサーパンダの赤ちゃんを観にでかけました。

時すでに遅く、ママと同じくらいまですっかり立派に成長した赤ちゃんたちは、ボランティアの方の解説がないとわかりませんでした。

笑っちゃうほど愛嬌たっぷりで、元気なレッサーパンダの親子ちゃんをみてきて、家族みんなで「うちもいつまでもこんな風に過ごしていたいねぇ」なんて話をしながら帰ってきたのを思い出します。

人もパンダも、妊娠、出産、育児はいつまでたっても手放しで安心することはできませんが、日々大きくなってくれるであろう赤ちゃんパンダとママのがんばりを心から応援してます。

若いうちは苦労は買ってでもしろ!は、若いうちだけ!

こんにちは。易占と鍼灸の仙亀です。


今日、鍼灸施術をご希望された方の中に、とてもがんばり屋さんの方がいらっしゃり、脈とお腹を診て見れば「(東洋医学的に)腎盂炎一歩手前」の状態。

なんでもここ数日、夜の熱が下がらず日中もずっとだるいとか。

そうなる前に扁桃腺が腫れて高熱が出ていたこともあり、心配で病院受診するもとくに病気ということでもなく。


お腹の状態をみれば、ずいぶん疲労をため込み回復に十分な時間をとれていない様子。

脈をみれば、カラダに熱がこもっていて、扁桃腺炎の後も無理を続けてこられていることがわかります。

※体調の見立てをお伝えすると、そのとおり、とのお返事。


「20歳過ぎると、がんばっちゃダメですよぉ」とお伝えします。

じゃあ、20歳前はがんばっていいのですか?と聞かれるので、20歳くらいまでのカラダが発育する期間は、カラダにかけたご苦労はよい鍛錬となり「もっと丈夫にならなきゃ」というカラダのさらなるビルドアップする活力となります。

ただ、20歳を過ぎるあたりから、カラダのもっと丈夫になろう!という発育のモチベーションは下がる一方。

そんな中、無理をかけたりがんばっても、苦労に反発してカラダがバージョンアップすることはありません。



東洋医学では女性は7の倍数で、男性は8の倍数でカラダのターニングポイントを迎えます。

女性の充分なカラダの発育が完成する時期は、7×3=21歳。男性は8×3=24歳。

これ以降、男性も女性もココロの発育や活躍する社会でのかかわり合いを通して、自分のカラダの使い方が上手になっていきます。

※20歳以降は完成されたカラダの使い方を上手に用いることで、丈夫を維持し続けることができます。また、筋肉は鍛え続けることができますし、運動なども鍛錬すれば上手になります。
ただ、カラダの芯の力をベースアップできる時期は過ぎちゃっている、と東洋医学では考えます。



もともとがんばり屋さんな性質の方は、高熱や病気をしても「まあ、こんなもんだろう」とタカをくくってしまいがち。

でも、ため込む疲労や回復しきれていないカラダは、やはり加齢や不摂生(今のコンディションに適っていないライフスタイル)で、「ボロ」が出てきやすくなります。



ことしは、気がつかないで体調不良を起こしている人がめだちます。

湿気の影響は知らず知らずのうちにカラダを頑張らせていたりして。そんな負担にも気が付ける気持ちのゆとりが持てたらいいのにな。

無茶ながんばりは禁物ですが、やっちまった無茶・がんばりの後は、帳尻合わせの休憩、休息がしっかりとれたらいいですね。

そんな回復を鍼の施術で応援していきます。

博心堂鍼灸院

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おいしくたべる「食」へのこだわり

こんにちは。易占と鍼灸の仙亀です。


今日はとれたてのイサキのお刺身をいただく機会がありました。

月に一度、パートナーがお願いしてお魚をおくっていただいています。


これが始まったのは、お魚好きのお友達ご夫婦とのご縁ができたことから。

最初は料理教室のような形で、パートナーがお魚のさばき方など教えていただいていたのですが、いっしょに月時にお買い物に行ったりするような間柄になり、そんなご縁から魚をとり寄せるまでご紹介をいただきました。



じつはぼくは20代前半はベジタリアンでした。

ちょうど鍼灸学校在学中のことで、カラダのことや東洋の思考などに興味があり、鍼灸の研究会ばかりでなく、もっと生活に根付いた学びを増やしていきたいと思っていました。

そのための学生生活だし、いろいろ体験してみようということで、ご縁をいただいたところに顔を出させていただくこととなりました。

リマクッキング

リマクッキング

 

 
場所は東京の西、八王子にあり、マクロビオティックという玄米菜食と断食道場のようなところにお邪魔して、食の理念や作法や料理などを教えていただいていました。
※それがご縁で、気功や瞑想のような研修を受けたり、呼吸によいからと雅楽の横笛をならったりしていたこともありました。

無双原理・易―「マクロビオティック」の原点

無双原理・易―「マクロビオティック」の原点

 

 

20代後半、カラダの仕組みのことや運動(気のめぐりなどの観念的なものもふくめて)に興味がわき、やはり人のご縁で太極拳教室に通うようになりました。
そこでのご縁で、今のパートナーとお付き合いが始まり30歳前には結婚となりました。



お付き合いをしているとき、パートナーは鍼灸学校の学生でした。

パートナーはまもなく国家試験、そして、卒業というタイミングでもあったので、会えば試験のことや鍼灸の学びのことを話題にすることが多かったです。
この時点でぼくは自分のマクロビオティックへのこだわりをゆるめていました。


なぜか。


一緒にいるパートナー、じつは元来のお肉好きです。下戸のぼくとは違い、お酒もたしなみます。

いっしょに外食する時など、やはり、動物性タンパク質はつきものでしたし、調味料も自分で選ぶようなものを使ったお店などあるはずもなく。



もともとカラダに良いとはどういうことだろう、食材や調理法のカラダへの作用など、学生気分で研究目的で始めた食養生

そもそも外食して具合が悪くなるような食事法であれば、(色々な意味で)過酷な現代社会で生活していくことはできない、と考えを「ゆるく」持つようになりました。



江戸時代後期に書かれた「養生訓」の著者:貝原益軒さんは、ひとは楽しく暮らさないといけないよ。そのためにカラダを大事にするんだからね、と養生訓の冒頭に書き記してくれています。

養生訓 (講談社学術文庫)

養生訓 (講談社学術文庫)

 

 ひとはとかくはめをはずしたり、欲に駆られて無茶をおこしやすい。そのためには、ある程度の節制は必要。

でも、節制も度が過ぎれば「イジメ」です。

せっかく世の中に生まれてきたんだから、たのしむことを存分に味わって暮らしていきたい。
※ぼくの家族にも、そんな気風で自分のカラダを愛しながらも、食や暮らしへの楽しみ味わう工夫に取り組んでいってくれたらと思います。



今日いただいたイサキも、欲に駆られてガツガツ頬張るのではなく、身の部分や皮の部分、ちょっと皮目を焼いたものや、骨などでだしをとったみそ汁、白子の和え物など、それぞれをじっくりじっくり味わって、食材の多彩さを楽しみます。

玄米菜食や食養生を通して、また、自分のそれ以降の過ごし方から「食べちゃいけないものは何もない」ということにいきつきます。

ただ、タブーな食材はないけど、タイミングや体調、あるいは材料を選ぶってことはした方がよいなと。

材料といっても、娘たちと一緒にいれば、スナック菓子などをいっしょに食べることもあります。
家族の対話を盛り上げてくれるこうした「お菓子」は、過ごす時間の彩りです。
食べて栄養になるかどうかはわかりませんが、少なくともココロを育む「栄養」にはなっています。



生活にゆとりがあれば、こうしたお菓子も選んでもよいかもしれません。

でも、生活がカツカツになったとき、食材や調味料を選ぶことさえできなくなった時、「こだわり」があるために不幸な食事にならないように、食卓に並ぶものにはいつも感謝できる姿勢を大事にしていきたいと思っています。

まず、食べられることに感謝。



東洋医学の発想術でも、食べて「やっちまった!」というあとには、それをリカバリーする食事やケアをすればいいと考えています。

※様々な食材の持つカラダに負担をかける要素に合わせて、「解毒」に役立つ薬味など漢方薬の知恵などはとても役に立ちます。
また、鍼の施術でもそんな「食あたりのツボ」なんていう便利なものもあったりして。


わかっていて「やっちまった!」(会食や飲み会など)のあとは、リカバリーの支度をすることができます。

「こだわって」完璧、と思っていたのに、結果「やっちまった!」となることも、体調や条件によってはしばしばあることです。

ぼくの食へのこだわりは、美味しく食べて、毎回つじつまを合わせていくこと。
カラダを振り返る習慣を持つことで、つじつま合わせと、眼の前の食事の味わい方の工夫が楽しめます。

食べることは有意義です。そして意義を持たせることができるかどうかは、食への興味とココロのゆとり(遊び心)があるかどうかにかかっています。

さて、今日の食事に意義は見いだせたかな?なんてことをほぼほぼ考えることなく、今宵のイサキづくし、美味しくいただきましたとさ。

マンガで「東洋医学はじめの一歩」

こんにちは。易占と鍼灸の仙亀です。

 

2011年に発売された「大原さんちの食う・寝る・ココロ 東洋医学はじめの一歩」。
この漫画の監修をやらせていただきました。

大原さんちの食う・寝る・ココロ 東洋医学はじめの一歩

大原さんちの食う・寝る・ココロ 東洋医学はじめの一歩

 

発売されてからすでに6年が経過しています。

掲載されている内容はさらに前だから、今、ぼく自身、マンガを読み返してみると「自分がちょっと若かったなぁ」ということと、「やっぱり東洋医学は一貫している」という2つを感じます。

マンガのキャラクターであるぼく自身の在り方と、今の僕とではやっぱり年をかさねてきた観があります。

マンガの延長で東洋医学に関するメルマガを配信し続けているのですが、東洋医学という一貫した骨子があるとやはり内容にぶれがない。
※面白いかどうかは別ですが。


マンガの監修をやらせていただいてよかったのは、人とのご縁がひろがること。

いまだにマンガを読んだ、といって、鍼の施術のお問い合わせがあります。


鍼灸というものに不安や不信をもつ人もいる反面、マンガを通して興味や関心を持ってくださるのはありがたい。

東洋医学の暮らしのアドバイスは、とても地に足がついていて「なんだそんなことか」ということばかりです。

あまりにも当たり前すぎて「そんなの知ってる」ということばかり。

でも、「知っている」人たちの多くは「やっていない」。


具合が悪くて鍼の施術を受診される方々に、症状対策や予防など食事や寝起き、動作についてお話をします。
それでも「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のたとえ通り、実践される方は少ないです。

だから「おもしろく」「たのしく」伝えることが必要。

マンガ「大原さんちの食う・寝る・ココロ 東洋医学はじめの一歩」では、登場される大原さんちのご家族が東洋医学の知恵を楽しんでくださっている様子が描かれています。

まずは興味を持って取り組んで、じっくりカラダを味わうこと。
そして「カラダにいいはずだから」とあまり気負うことなく、気楽に取り組みを楽しんじゃうゆとりが大切です。

続けているうちにカラダが楽になっていく実感を持つことができると、カラダへの取り組みが積極的になっていきます。
※お伝えしたアドバイスが、後日「よかったよぉ」なんて言葉でかえってくると、お伝えする鍼灸師にはとても励みになります。「伝わってよかったぁ」って率直に思います。

カラダも世間も「いつも同じじゃないんだよ」ということを理解しておかれると、日々の工夫を楽しむ余地が出てきます。
ときには手を抜くことも楽しむゆとりがあったらいいですねぇ。
※じっさい、手を抜いたことが、じつは効果的な養生だったりすることがあります。
詰め込んで張り詰めるばかりが養生ではない、ということ。



自分にはお味噌汁がかなっているからと、毎日飲んでいると、ある日、急に美味しく感じられないことがあります。

カラダと環境のバランスが変わったサインですね。

カラダを温めるお味噌汁だと熱がこもりやすくなっているのかもしれません。
お味噌汁のこだわるなら、カラダを冷ます具に切り替えたり、お出汁とお味噌のバランスを変えてみる、なんて取り組みができたら季節にかなった自分流のお味噌汁が完成していきます。

また、お味噌汁意外だったらどんなスープがかなうんだろうと、目先を変えて見るのも日々の食卓の彩りが増えて楽しくなります。


ちょっとしたカラダの気づきが、じつは楽しく心地よく毎日を過ごす工夫作りのきっかけになります。

そんなカラダと季節の気付きをテーマに、毎週金曜日にメルマガを配信しています。
東洋医学の発想術にご興味のある方に、ご縁がつながることを願っています。

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人は見た目が100%

こんにちは。易占と鍼灸の仙亀です。


せんじつ、「人は見た目が100%」というタイトルのドラマが完結しました。
断片的でしたが、チラチラ見る機会がありました。
共感したのはストーリーよりも、もっぱらタイトル。

www.fujitv.co.jp


そう、東洋医学的には「人は見た目が100%」です。

東洋医学にはカラダの見立て方はすべて術者の五感を使います。
※占いでは暦で生年月日を使うこともあるので、このあたり、残念ながら「見た目100%」というわけにはいかないこともあります。

視覚を使って姿勢や表情、顔色を察することでさまざまなコンディションを見ることができます。


せんじつ、出先で転んでひざをねん挫した方がいらっしゃいました。
じつは鍼の施術をして腰と右足の痛みの具合がよくなった矢先でした。

ただ、自覚症状はその場で随分楽になったようだったのですが、カラダを起こした時、まだ腰が抜けた状態。

「楽になったかもしれないけど、無理はしないでくださいね。まだカラダは充分じゃないですよぉ」とまだ回復の経過中ということをお伝えしました。

それでも、長らく痛かったのが楽になったので、ついつい遠出をしたときのひざのねん挫だったそうです。

この方はもともと前傾姿勢になりやすく、アゴをあげてカラダよりも顔を前に出して歩く姿勢をされています。
カラダよりもココロが先走りやすい性格とよくわかります。
※くわえて、目がちょっと大きめなので、怖がりさんなのですが好奇心が強く、ついつい手元のことがおろそかになり、指先のけがをしやすいタイプ。



また、ずっと腰と背部痛をうったえていおられた方がぎっくり腰になられました。

人から頼まれごとをする役回りということで、いつもいそがしく動かれている方なのですが、鍼施術で楽になったのですがやはりついつい無理をしてしまったとのこと。

いつも肩をいからせて上半身に力みのある方なのですが、「ついつい無理をする性格」の人の典型的な特徴のある姿勢です。

前回ぎっくり腰でお越しになられた時も、やはり「ついつい無理」のあとだったそうで、「肩があがりはじめていたから、きっと近々お越しになられると思っていました」とおしゃべりになりました。



占いでは「人相」や「手相」がこのセンスと一致します。

手の甲はその人の精神性や思考の傾向を見るところでもあるのです。
指先が細いほど空想や想像する力がつよく、指先が四角あるいはへら形に広がっていると現実的、実務的な物の考え方をするとみます。

そんな「かたち」をしていても、その時の見た目の印象が普段と異なる時があります。
そうした「いつもと違う」印象は、コンディションや思考の方向性の変化を示すことがしばしばあります。


顔色を見て、元気そうとか、体調が悪そう、なんていうのは、見た目でよくわかります。
隠したって駄目です。見栄を張ったり芝居をしても、ふとした時にやはり本音の部分はちゃんとあらわれます。


ふむ、やはり「人は見た目が100%」。

東洋医学の発想術では、ビビットくるタイトルでした。